京都仏教婦人会の歴史と六角堂


西本願寺仏教婦人会総連盟ご寄贈の石碑  明治二十七年六月六日「吾々仏陀の大悲を行ずる……婦人諸姉と共に……慈善事業を扶助しあるいは直接に窮民を救助」(設立趣意書より)するために京都夫人慈善教会が設立されました。

 青森雪中行軍凍死者への弔慰金や、東北三県大飢饉救助金の拠出など社会保障制度が確立していなかった当時にあって、当会は全国的規模での慈善活動をくりひろげました。やがて、明治四十四年五月十一日には、親鸞聖人ゆかりのこの地に六角会館が落成し、当会は充実発展期を迎えます。

 慈善分野では、米騒動や関東大震災などの被災者に多額の義損金を送るいっぽう、大正五年以降の窮民への牛乳施与活動、大正十年以降の巡回診療活動など着実な日常活動が昭和十年代まで続き大きな成果を修めます。

西本願寺仏教婦人会総連盟ご寄贈の石碑  また、宗教活動の分野でも常例法話をはじめ、例会、法味会、夏期講座、冬期講座を定例的に開き、女子青年講座や店員日曜講演などユニークな伝道活動も行われました。同時に、京都市内小学校女子教員研修会、料理講習をふくむ母性講座などの文化活動を主催して、社会の注目を集めました。やがて、社会情勢が大きく変動してゆく中、昭和十二年にはその名称を京都仏教婦人会と改め、宗教活動を中心に運営されるようになりました。

 そして戦後、昭和三十二年には、京都仏教婦人会を中核とする宗教法人「六角仏教会」に発展したのです。